アーティストインタビュー
ソ連留学の経験は、演奏家として弾き続ける原動力のひとつです
(聞き手:Hakuju Hall支配人原浩之)
弦楽カルテットを結成されて3年ほどになられますね。
ええ。弦楽四重奏はかなり前からの夢だったのですが、ソリストとしての活動が忙しく、なかなか実現せずにいました。そんなとき、ヴィオラ奏者の川本嘉子さんから「(ベートーヴェンの弦楽四重奏の)ラズモフスキーを一緒に弾きたい」とおっしゃっていただいて。桐朋学園高校の同級生でチェリスト原田禎夫さん、ヴァイオリニストの久保田巧さんにもご賛同いただき、結成となりました。
それにしても豪華な顔ぶれですね!
皆さんお忙しい方ばかりなのですが、カルテット経験が豊富な皆さんに、いろいろ教えていただいています。カルテットは、ソロと弾き方が全く異なるんです。四声なので、一人ひとりが他のパートを熟知しつつ、俯瞰的にとらえることでひとつの響きになる面白さがあります。原田さんには「ソロを弾くほうがよっぽど楽だよ」って言われています(笑)。
今回の選曲は、すべてベートーヴェンですね。
以前から、ベートーヴェンのカルテット作品を弾いてみたかったのですが、今回挑戦して改めて、ベートーヴェンのすごさに思いを馳せています。どの作曲家も素晴らしいのですが、ベートーヴェンの作品は彼そのもので、人生がそのまま作品にあらわれています。たとえば、休符のなかにある音にならない音も、すごく胸に響いてくる。とくに、晩年の作品は、彼の人間性が至るところにあらわれていて、奥深さを感じます。
だからこそ、亡くなって200年近くたっても、全世界で愛され続けているのですね。
そうですね。私の場合、若い頃と今では、同じ曲を弾いても感じ方が違います。演奏 活動を始めて55年になりますが、その間のさまざまな経験が、音に反映されている のかもしれません。とくにベートーヴェンのような奥深さを感じる作品を弾くと、演奏する側の人生も音に反映されるように感じます。
前橋さんは、今から56年前、ソ連に留学されたのですよね。
小学校3年生のとき、ソ連のヴァイオリンの巨匠、オイストラフの演奏を日比谷公会堂で聞いて、子ども心ながらに感動しました。「ソ連に行けば、ああいうふうに弾けるのではないか」と思い、「私は絶対にソ連に行く」という大きな夢を持ったんです。
それで、高校2年生で、レニングラード音楽院に留学されたのですね。
ええ。創立100周年記念で、共産圏以外の国から初めて留学生を受け入れることになり、入学許可が下りたのです。横浜から船に乗って1週間かけて到着。夢は叶ったけれど、東西冷戦の真っただ中で、物はないし不便だし。それでも、当時はソビエトの音楽家黄金期で、巨匠たちの演奏を目の前で聞くことができる素晴らしい環境でした。4人で1部屋の寮に鉄パイプのベッド。今思うと本当によく生きのびたなって......。こんな大胆なこと、若いからできたのでしょうね。でも、そのときの思いや体験が、今まで弾き続けることのできた、大きな原動力になっているのだと思います。