アーティストインタビュー

バッハは背骨、ブラームスは心のひだ

堀米ゆず子(ヴァイオリニスト)
堀米ゆず子 J.S.バッハ「ブラームス プロジェクト at Hakuju(全6回)出演

堀米ゆず子にとって「バッハは背骨、ブラームスは心のひだ」である。背骨は基本。それがあるからこそ全てが機能する。心のひだは和声のこと。低音の一音を変えるだけで表情が変化していく......いわばそういった存在だ。2人の曲は「30年間の演奏生活における音楽作りの核。昔からプログラムに入れることが多く、組み合わせると弾きやすいし、聴き心地もいい」とも言う。
かくして始まる「J.S.バッハ/ブラームスプロジェクト at Hakuju」(全6回)は、「5年ほど前から練っていた企画」であり、この世界的ヴァイオリニストをして「2人の作品だけをまとめて演奏するのは初」となる、満を持したプロジェクトだ。

中軸を成すのは、聖典ともいうべきバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ」全6曲と、ロマン派ソナタの最高峰に位置するブラームスのヴァイオリン・ソナタ全3曲。これらに、ブラームス稀代の名作、ピアノ五重奏曲とクラリネット五重奏曲、「私が室内楽を始めた最初の曲であり、ひとつの原点になっている」弦楽六重奏曲作品18、「滅多に演奏されないし、私もほとんど弾いたことがない」弦楽五重奏曲2曲等の室内楽曲を絡め、さらにはバッハの「音楽の捧げもの」のトリオ・ソナタや「インベンションとシンフォニア」の弦楽三重奏版といった意外な作品も組み合わせる。全体のラインナップを見れば、通常一般の想像を超えた多様性と深みをもつ内容であることがよくわかる。

開催は毎年10月と3月。それもあって「Vol.1の、ヘ短調、二短調、二短調という短調の曲の組み合わせは“秋”、Vol.2の、イ長調、イ短調、イ長調の曲の組み合わせは“春”......」と各季節のイメージを反映したプログラミングが成される。「調性が最も関係してくる。もちろん曲想も。だから単に有名な曲を選んでいるわけではない。音楽にもそうした季節ごとのメニューがあるし、プログラム作りは食事とすごく関係が深くて、食べ合わせが大事」なのだ。
ただ「音楽を聴けば季節感は自然に感じていただけると思う」と堀米は言う。つまり聴く者は、彼女が提示するメニューを通して、秋と春を体感しながら名曲を味わい、回を重ねれば「去りし春、来たる秋」に思いを馳せることもできる。

曲順にも新機軸がある。例えばVol.1は、ピアノ+弦楽器4人の五重奏曲に始まり、二重奏のヴァイオリン・ソナタ、堀米1人で弾く無伴奏ヴァイオリン・パルティータ......と曲ごとに演奏者が減っていく。これは前代未聞というに近い。「最 初に無伴奏曲を演奏すると聴く方も意外に集中し辛いので、徐々に集中していく形を考えた。一般的なプログラムとは逆 だが、音楽に耳が慣れたところでバッハが出てきた方が、思っているよりずっと聴きやすい」のがその理由。全6回中3回がこのパターンだ。ゆえに我々は、かつてない音楽体験を得ることになる。

堀米いわく、バッハとブラームスの共通点は「バスの使い方による変化とドイツ語的な発音」。しかしドイツ語的でありながら、「バッハの無伴奏ソナタ&パルティータは、ケーテンで書かれたが、当時ケーテンとベルリンは姉妹都市だった。ベルリンはフランスからジプシーや踊り子などが追いやられた先であり、その影響がケーテンにも移ってきた。だからバッハの曲も6番目のパルティータ第3番になると、ガヴォットやブーレーなど曲名にフランス語が多くなってくる。バッハは小さな町にこもって書いたのに、そんな影響が飛び火のように来た。この情報の伝播が面白い」。また「ブラームスの和声の移ろいは独特のもの。特に内声の第2ヴァイオリンやヴィオラに味がある」とも話す。このプロジェクトには、そうした西洋音楽の様々な綾が背景にある。

今回の多彩な共演者はみな堀米自身の指名。Vol.1とVol.2を眺めただけでも実力者が揃う。内外から集うVol.1の多彩な4人は、堀米がブラームスを共演したことのある旧知のメンバー。だがそれでいて「全員での五重奏は初めて」だ。Vol.2の木越洋(チェロ)は「昔からの仲間」、佐々木亮(ヴィオラ)は「五重奏で共演して以来惚れ込んでいる」名手で、何れもNHK交響楽団の首席奏者とOB。これに「若手を1人入れたいとの考えもあるので、CDを聴いてスケールの大きさを感じた」田村響(ピアノ)が初共演を果たす。この信頼感とフレッシュな感覚が同居したコラボレーションは、室内楽演奏にとってある意味理想的といえるだろう。

これは、選曲、組み合わせ、曲順の全てにおいて、日常のコンサートはもとより、多数のアーティストが参加する音楽祭でもまず実現しない稀有のプロジェクトだ。3年の長丁場、存分に期待し、大いに堪能したい。

(音楽ライター柴田克彦)